趣味がない。

雑談。

意味がある/ないは誰が主語ですか

「それって何の意味があるの?(何のためにやってるの?)」という問いかけを受けるときがある。たいていは自分が好きでやってて、かつお金や評価につながらなそうなことに対して。
「意味がある」という言葉にはどうやら「(他人、社会にとって)意味がある」という暗黙の主語が想定されることが多いようだ。金になる、他人から評価される、褒められるといった要素があるのが前提だ。
では(自分にとって)意味があるのはどんなことか。楽しい、飽きない、成長してると自分で感じるようなことだろう。
ここで他人にとっての意味のある無しと、自分にとっての意味のある無しを組み合わせると4パターンの状態ができる。
  1. 他人に自分ともに意味がある状態。主体的にパフォーマンス高く仕事できてるような感じ。
  2. 他人には意味があるが、自分では意味がない状態。お金のため、イヤイヤでも仕事してるような感じ。
  3. 自分には意味があるが、他人には意味がない状態。趣味、自己満足、妄想など。
  4. 他人にも自分にも意味がない状態。
まっさらな新卒の社会人であれば、まず4からスタートして、2に遷移する。それから1になれるような方法や観点を模索するのが一般的ではなかろうか。ただし、他人や社会での意味のある無しを軸として日々忙殺されると、自分は何が好きで楽しいと思うんだっけ?という声がどんどん聞こえなくなってくる。なにせ自分以外の全てが自分以外の意味の有無について情報を浴びせまくってくるのだ。一対無限、多勢に無勢。なのでいざ2から1に行くのはなかなかに苦労する。
そこで4から3にいって1に行く経路がいいんじゃないかと考える。まずは自分の嗜好、楽しいこと、労を厭わずできることが何か探り出し、それをせっせと磨く。か弱いかすかな自分の声を復権させるように。その意味を他人や社会にも有意となるようアレンジしてあげれば、楽しく仕事にもたちむかえるはず。

「それって意味あるの?」というぶしつけな問いには「自分にとって意味があるからいいの!あなたには届かないけど、届く人やモノにとってはすごくいいからコレ!まあ届かなくても俺楽しいからほっといて!」と心の中で返してるのです。私。