飲み会収穫逓減の法則
収穫逓減の法則とは、ある畑で1年目に100種をまいて100作物がとれたときに、おなじ畑にさらに100種まいてもプラス100は収穫できず90か80に減ってしまう現象。詳しくはググって頂きたい。
これを飲み会に適用すると以下のようになる。
- 最初の一杯には二杯目以降はかなわない。(特に夏場のビールの場合品著である)
- 一次会ほど二次会、三次会は楽しくはない(惰性なので)
- 同じメンバーで何回も飲むより、新しいメンツだと、新たな発見があり楽しい
この法則に厳格にしたがうと、いつも違うメンバーと、一杯だけ酒を飲んで、一次会で終わる、のがサイコーとなってしまうが、それもまた微妙だなあ。
ただ職場の上司と飲んでて二次会行こうぜ、みたいな面倒な流れになったら、
「あ、ぼくは収穫逓減の法則に従って二次会行かない主義なんで」とか言ってドサクサにまぎれて帰るくらいには使えるかな。
飲み会の帰りの書き殴りは以上で終わります。
いつからS席はA席より少ないと思ってた?
自分の興味、観測範囲の外にあるものを取り入れる
最近アイデアの出し方(主にビジネス的なもの)について、よく考える。自分の専門は金融とITなので、いわゆるFintech周辺に関わっているのだけど、近隣のエンジニアや顧客と会話しても、なかなか「これはアツい」みたいなタネを見つけずらい。
そういうプランを練る訓練が足りないのは言わずもがなだが、そもそもインプットの質と量に課題があるのでは、と感じている。
では「いいメシ」はどうやって探して食べるのか。それはタイトルに書いた通り、自分には一見関係ない分野、人、ものからヒントを得ることが、遠いようで近道かと。アイデアや創造とは、既存のものの組み合わせだとしてみれば、いかに他の人が組み合わせを思いつかなかったり、ためらったりするような幅広いカードを、まずは持つことが有益だと思う。
しばらく会ってない他部署の同期、大学高校の友達、他社と合同の研修など、畑違いの人と場所に接触する機会を意識して作らなきゃなあ。
職業の道楽化
人生の最大幸福はその職業の道楽化にある。 富も名誉も美衣美食も、職業道楽の愉快さには遠く及ばない。
上記の言葉を残したのは、本多静六という人である。詳しくはWikipediaに譲るが、日比谷公園作った「日本の公園の父」で、給料の四分の一を貯蓄、株式投資して、100億くらい財をなしたけど、贅沢せず、ほとんど寄付した人らしい。
高杉晋作の「おもしろき こともなき世をおもしろく」に近いものを感じるフレーズ。道楽化ていう響きがいい感じ。
本多さんは職業の道楽化のためには勉強して努力せよ、と説いているが、自分でやる場合にはプロセスに分けてこう進めたい。
- 自分の職業のタスク、ミッションを楽しめる部分と楽しめない部分に分解する
- 楽しめない部分から遠ざかる、あるいは人手をかけなくて済むように標準化、ルーチン化する
- 楽しめる部分をもっと楽しくするにはどうすればいいか考える(ここで勉強が必要そう)
- 楽しくするための行動の仲間を職場で見つけて自分を盛り上げる
だいたい難しいのが2と4。2をクリアしないと3以降の体力を捻出できないし、4がないと心が折れたり反対する人に潰される。「何仕事に関係ないことやってんだ」的なやつで。
道楽をやるための、遊び心の火を自分と職場にうまく着火できて、またその結果をブログのネタにできたらいいなあ。
現実世界に強いことはこれから市場価値になる
ポケモンGOが大人中心に人気ですが、拡張現実、仮想現実のデバイスとコンテンツがこれからどんどん充実してきて、慣れきった人は以下のような能力が退化(不要になる?)するかもしれません。
直接面と向かって会話、依頼、交渉する力
→プライベートはおろかビジネスの場でもほとんど人と会わずに完結する業務範囲が増えるため。
自分の見え方(髪型、ファッション)をコーディネートする力
などなど。
こうなってくると古来からの対面チャネルの果たす役割は、ビジネスの意味合いからすると面積は小さくなれど、濃度密度はとても大きくなる気がします。
直接対面で、現実世界でリアルに取得した一次情報、情報の「鮮度」が勝負を分けることが増加するため、そのためのスキルを持った人材が重宝され、そのスキル育成パッケージが小さいながらもビジネスとして存続しそう。
ごちゃごちゃになってしまったけど、テクノロジーが大きく人と人の繋がりを変えるのであれば、そのビックウエーブにうまく乗るのも良いけど、逆ばりのスキルやビジネスもけっこういいかもな、てだけです。以上。
ポケモンの話より、マリオの話をしよう。
小さいころ、ファミコンだけはうちにあった。おそらく兄がねだったのであろう、初めてのソフトは名作スーパーマリオブラザーズ。まだわけのわからない年頃だった俺は、面白半分に兄に持たされたコントローラーで、ステージ1-1の冒頭で何度も何度もクリボーに突撃しては死に、を繰り返した。
Aボタンを押してジャンプすることを知らなかったのだ。わりといい勢いでクリボーに突っ込んでいったので、きっとBダッシュだけは教わったのだろう。ただファミコンに触らせてもらって、なんとなく満足した俺。繰り返し死ぬマリオを見て(たぶん)笑っていた兄。二段ベッドのあるじゅうたん敷きの、せまい部屋でのあいまいな思い出。
大人になって、目の前のことに手いっぱいなときは、ただ猛然とクリボーにBダッシュして突っ込んでるのに似ている。ジャンプしてよけてもいいのに。戦わなくても、コインとらなくてもゴールできるのに。視野が狭くなったが最後、いつかBダッシュだけでクリボーを打ち破れると信じて、何度も同じことを繰り返しがち。
大人の世界ではたまにすげーBダッシュで、全てを打ち倒す人がいるけど、レアケース。俺はふわふわとジャンプしたりしなかったりして毎日を過ごしていくわ。
男はいつ父親になるんだろう
ふと、そう思って考えてみた。
「そりゃ嫁さんが妊娠して、おぎゃあと生まれれば父親だよね」
「でも自覚がでるのは、パパ、父ちゃん、と我が子に呼ばれたときか」
「教育費のために、節約しはじめたときかもな」
少し前に「そして父になる」という映画がだいぶ話題になって、周りの新米パパに「すごいよかった」「見た方がいい」と勧められつつも、まだ見ていない。TVで放映されたときに録画して見てみようかと考えたが、なにか感情が大きくマイナスに揺さぶられるような恐れを抱いてしまい、結局見れずじまいだ。何かを乗り越えなければ父親になれないような気もするし、そんな日は永遠にこないかもしれない。
ただ、このおチビさんにそのうち、自分がこんなことを考えている、これはよい、よくない、と心からの自分の言葉で話せるように、日々を積み上げていこうとは最近考えている。
父親道遥かなり・・